「がんばる」という言葉がつかいにくい風潮になって久しくなりました。
「がんばらなくていいんだよ」というキャッチフレーズで、どれだけの人が(私を含めて)救われたかと思うと、この言葉は心身にムチうつイメージがついてまわっている気がします。
つい気軽な気持ちで「がんばれ」や「がんばってください」をつかいがちだったのですが、いつの頃からか、口に出すのも遠慮するような感じになっていました。
けれども、この言葉自体、決して悪い言葉ではないですよね。
私の友人は「がんばる」を、「願晴る」と当て字して、願いが晴れる気持ちで行動することが「がんばる」ことだと言いました。
私も、個人的な勝手な解釈ですが、「がんばる」というのは「誠意」や「真摯さ」という言葉に置き換えられるのではないかと思っています。
例えば、「誠意」とは「心に何を見ているか」が大切なのだと言った方がありました。
つまり、「誠意がない」というのは、表面的な印象だけで物事を判断し、心に何も映っていない状態なのだという説明でした。
確かに「誠意」と対になる言葉に「信頼」があります。
「誠意がない」人を信頼することはできませんね。それは、「誠意を尽くさなかった」自分自身に対してもそうです。
自己不信が強まるきっかけは「物事の表層だけを見て、心に何も見ず、早急になんらかの評価と判断を下してしまった時」がほとんどで、必ず深い後悔とともに自分のことがイヤになってしまいます。
「誠意がない」のと同様、自己保身、こだわり、自己欺瞞に満ちた人に、私は多少過剰に反応してしまいます。
意識してしまうのは、自分と同じものを感じてしまうからでしょうか。
対して、集中した「誠意」は心揺れず、まっすぐに矢を放ちます。
本心で関わることは難しいかも知れませんが、照れるのではなしに、誠意を尽くして信頼の絆を結びたいものです。
「がんばる」というのは、何となくそういうこと(心に映すこと)だと思うのです。
楽しく拝見してます。
さくだ先生のような医師がいてくださることは患者にとって救いですね。
様々な本の紹介を読み、私まで本を読んだ気分になってます。
有難いです。
コメントありがとうございます。読んでいただけていると思うと、嬉しい反面、恐縮しきりです。
皆さんと一緒に前が向けるような投稿にしたいのですが、なかなか難しいものですね。
今後ともよろしくお願いします。