いつでもその人にとっては「ふたつにひとつ」ということ

ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんの「今日のダーリン」のコラムは、なるほどと感心し、共感することも多いです。

ちなみに、「今日のダーリン」はバックナンバーを残さない方針ということで、「毎日、更新されて、毎日、消えていくコンテンツ」です。

ですので、文章を引用・転載することは控えますが、4月30日の「今日のダーリン」は「そうだよなあ」と感心しましたので、内容をお伝えしますね。

 

サイコロの目や野球の打率など、それが「当たる確率」というのは数学的に導き出せるものです。

例えば、サイコロで3が出る確率は6分の1。打率は、安打数÷打数です。

けれども、サイコロを振る当事者だったり、その打席でバッターを観ている人にとっては、確率うんぬんより

「当たるか、外れるか」

の「ふたつにひとつ」なのだということを、言っていました。

 

「なるほど」と思って感心したのは、これは私たち医師の日常でよく経験することだからです。

ある患者さんに、新しい薬を処方するとします。その方にとっては初めての薬ですので、「こんな副作用がありますから、気を付けてください。」と説明します。

「この薬は1%未満に浮腫みが出ることが知られています。症状が出たら、すぐに知らせてくださいね。」

「5%近くの方が便秘するそうです。」とか。

説明していて、この「1%未満」とか「5%近く」という数字は、患者さんにとっては意味がないんじゃないかと思うことがあります。

もちろん、医療者は知っておく必要があります。あまりに大きい数字は「注意すべき薬剤」として認識していた方が安全だからです。

ただ、副作用として症状が出るか出ないかは、当事者であるその患者さんにはヒトサマの統計など実はあまり意味がないことで、あくまでもその患者さんにとって副作用が出たか出ないかが問題なんですね。

背景となる統計は、当事者の「ふたつにひとつ」の前では説得力がうすくなる気がします。

だから、注意しなければならないのは、現に表れている症状には数字の説明は時に不誠実であるということです。

 

そして、この「ふたつにひとつ」のことばかり気にしていると、新しい薬は怖くて出せなくなります。

そもそも何のための薬か、十分な共通理解が必要です。

「ふたつにひとつ」を他人まかせにしないためにも。

 

on hill

 

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