今日は(も?) わかりにくい投稿だと思いますが、佐久田自身の備忘録として。
「ラケット感情」というのは、交流分析で使用される言葉です。
本物の感情の代わりに使われるようになったウソの感情のこと。代理感情とも呼ばれます。
その人が生まれ育った環境の中で、培われてしまった感情です。
例えば、子どもの頃、ある感情を出した時は褒められたのが、別の感情を表出した時には叱られた。
そういうことを繰り返しているうちに、本当の感情を表出することを反射的にやめて、周囲から受け入れられる感情を表出するようになります。
その人は本当の感情を否定していることにもなるので、自分を裏切っている独特の嫌な感覚を味わっていると言います。
「つらいのに怒っている。」
「本当は受け入れたいのに拒絶している。」
「ともに共感しあいたいのに批判してしまう。」
「誰よりも傷ついているのに不満を表明せざるをえない。」
嫌な感じを反芻しながら、否定的な感情を繰り返し確認してしまうことになります。
ですから、本物の感情を気づくことがなければ、自分のしていることの意味に気づけません。
流し込まれた偽りの価値観をなぞっているだけで、真の問題の解決に至らないのです。
このゲームを終わらせるには、どうしたら良いのでしょう。
相手にゲームを終わらせることはできないとはよく言われることです。
難しいですが、ゲームの誘いを受け流すこと。誘いにのらず、巻き込まれず、自分の本物の感情に気づくこと。
気づくことが大切だと言われます。
その場、その時、何をしようとしているのか、何が起きているのかに気づくこと。
言葉にするよりずっと難しいことだと思います。