今回も「マインドフルネス」のお話の続きです。
マインドフルネス瞑想で、じっとしていることが苦痛で我慢を強いられている気持ちになる方へ。
「自分には瞑想は合わない」と早計に決めつけないでくださいね。
人は、「今の状況」のすべてが「自分」のために動くのが当然のような欲求を持っています。
それは本能的に、より安全でより快適な環境に身を置こうとする生き物であるからとも言えます。
自分のためでなければ、危険な状況を想定しなければならないこともありますね。
言い過ぎかも知れませんが、言い換えると人はある部分「周囲に対する不信」が根底にあるのかも知れません。
裸の自分をさらすのに、世界は決して安心してゆだねられる場所ではないのです。
いとも簡単に不満を感じ、評価し、断じます。
実際には不利益を被っているわけでもないのに、そう信じて疑わないために怒りの感情に飲み込まれやすい性質を持っています。
飲み込まれると、攻撃的な言動で場を壊してしまうまで止まらなくなります。
その怒りの雰囲気は、周囲を緊張させますね。
そして、すでにいる場所で安心していられなくなります。じっとしていられないのです。
一方で、自分以外のあるべき姿を変えようとしない気持ちは安らかです。
この瞬間だけで十分だと思う時、感謝の気持ちが湧いてきます。
「評価も判断もしないこと」が、今の瞬間を深みのあるものにします。
急ぐことはないのです。苛立つ必要もないのです。
蝶とさなぎの話は有名ですが、ここでは少し違った意味で紹介します。
ある一人の男の子が、蝶のさなぎを見つけました。
さなぎは脱皮の兆候が始まっており、彼は座ってさなぎから蝶が出てくるのを見続けました。
蝶はその小さな裂け目から体を出そうと何時間も何時間ももがいています。
男の子は、早く蝶を見たいと思いました。
そのうち男の子は、無邪気にもそのさなぎを助けてあげることにしました。
はさみを持ってきて、さなぎの殻を裂け目を広げるようにちょきんと切ってしまったのです。
けれども、そこに現れたのは縮こまった羽と膨らんだ体の蝶でした。
そして、一度も羽ばたくことなく短い生涯を終えてしまいました。
男の子は、待っているあの瞬間を感謝し、じっとしていられなかったのですね。
自分の都合で変えようと思ってすることは、すべてを壊してしまいます。