「面倒が起ること」は当然です。
家族になら「もう!なんでよ!」と愚痴をこぼすようなことも、仕事でならそれは全て承知の上です。
古今東西の偉人の方々が言っているように、うまくいくと思うのは幻想でしょう。
その時に「なぜ私がこんな目にあわなきゃならないの?」と思っているのか
「次にどうするべ?」と問い続けて臨むのか。
「まあしょうがないか」「本当はそうは思ってないんだけど」と違和感をごまかしてきたことに
本心の方はさすがに疲れ果ててしまうようです。
自分の本心と違うものに「合わせる」ということは、その都度嘘をついていることです。
「全体としたら、何とかなっているのかな」「あえて取沙汰しなくても」
注意力緩慢の鈍感ではなく、積極的にあえて感覚にふたをして鈍らせて対応する鈍感。
その結果、曖昧にされた現実はどんどん大きく悪化していく一方です。
「うまくいくこと」を目標に据えるのではなく、「次に何が必要か?」で自問し行動し続けていく。
これが私の課題です。
「曖昧にしないことが大切」
そのために腹を据えようと思います。
それで現れる現実は、きっと今よりは晴れやかでしょう。