たましいと谷の深さ

 

河合隼雄氏のエッセイにジェイムズ・ヒルマン「元型的心理学」の紹介がありました。

「たましい」のお話の説明です。

 

要約する自信がないので、すみませんがそのまま引用させてください。

 

この本のなかでヒルマンは、精神とたましいの違いを説明するために、山の頂上と谷の比喩を用いている。

精神は高さと関係する。高く明るく、遠くを見渡せる頂上は精神を表すのに適している。

谷は低く暗く見通しは悪い。「嘆きの谷」などという表現があるように、それは嘆きや悲しみの場所である。

もちろん、頂上を目指していく道にも苦しみはある。しかし、その苦しみは「この方向に進めば目的を達する」という方向性をもっている。

谷の苦しみは方向が不明である。そこからすべてを見渡したりはできない。しかし、その苦しみが人に深さを与えてくれる。

ヒルマンの「『魂』は出来事を経験にまで深める」という言葉を、私は好きである。

 

 

心理学を学ばなくても、ヒトの心を思う時、たましいや精神についての考察は避けては通れないものだと思います。

さらに、たましいとは何かという問いかけは、「こわい話」に出てくるものとやや混同しがちになりながらも、沖縄の人なら誰でも、より身近なものとして考えるものだと思います。

何しろ魂の戦士「琉神マブヤー」がいる土地柄ですから。

 

 

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