英祖てだこ伝説 「球陽」から

 

さくだ内科クリニックは浦添市と那覇市の市境いに位置しています。

ちょうど透析室の一角を境界線が横切っている感じです。

 

ちなみに浦添市は「てだこの街」と呼ばれています。

「てだこ」というのは、「太陽の子」という意味です。

沖縄の方言で太陽のことを「てぃだ」と言いますが、その子ども、つまり「てぃだ」の「子」→「てだこ」というわけです。

 

今日はその「てだこ」にまつわるお話。

 

12世紀から14世紀頃の琉球王国は浦添城を中心に栄えていました。

その時の王が英祖王で、その人こそ「太陽の子」伝説がある人物です。

 

琉球王国の正史として編纂された史書『球陽』から。

 eiso

以下原文のまま

「恵祖世主(えそよのぬし)は乃ち天孫氏の後裔なり。

当時、恵祖は伊祖按司為り。

善を行ひ徳を積む。然れども結婚の後、まったく生育なし。

晩天に至り、其の妻、日輪飛び来たりて懐中に入るを夢む。

既にして酸を喜び飯を悪む。

恵祖おもへらく、それ前夢の徴あらんと。

月すでに満ち足り、臨月の日、祥光異彩、屋中より雲端に直透するを見、並びに異香屋に満つるや、早や已に一男子を生得す。

恵祖、満心喜悦し、之れを愛し之れを惜しむこと異宝の如く一般なり。

当時の人、以て天日の子と為す。

英祖、生まれて聖明、賢と親しみ道を崇び、其の徳大いに著はる。

歳二十五、義本の世飢疫並行し民憂に勝へず国勢将に危からんとするに会ふ。

英祖、命を奉じ、登りて国政を摂するに、飢疫ともに止み、人心始めて安し。

政を摂すること七年、国人之れを仰ぐこと父母の如し。

ついに義本の禅を受け君と為る。」

 

内容は以下の通りです。

 

恵祖世主は天孫氏の子孫である。当時、恵祖は伊祖按司であった。

善を行い徳を積んだけれども、結婚後子供が生まれなかった。

老境にさしかかってからのこと。 その妻が、懐に日輪が飛びこむ夢を見て、そして懐妊した。

恵祖は、これは夢が現実となったことだと思った。

月が満ち、出産の日、めでたいきざしの光が、屋内から雲に達するまで発し、さらに不思議な芳香が屋内に漂うかと思うと、男児が生まれた。

恵祖は大変喜び、宝物のように育てた。名前を英祖とした。

当時の人々は、その子を「天日の子」とたたえて呼んだ。

英祖は聡明で、道を尊んで、徳が高い。

二十五歳の時、義本王の世は、飢饉が起こり、疫病が流行し、国が大いに危機に直面した。

英祖は王命を受けて国政をあずかるようになった。

間もなく飢饉も疫病もやみ、国も治まった。

七年間の摂政中、国民もこれを父母のように尊敬した。

三十二歳の時(1260年)ついに義本王から王位をゆずり渡され、国王となった。

 

 

実は私事ですが、高校から大学時代、英祖にまつわる伝説をもとに小説を書こうかと思った時期がありました。

琉球の歴史は文献に残っていないけれども伝承が数多く、題材が豊富なんですね。

実在するのかわからない禅僧のお話など、空想力が刺激されてワクワクしてきます。

 

 

 

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