私が「ルビコン川を渡る」という故事を知ったのは、実はそんなに昔ではないです。
開業を決めた頃に、ふと手にした本にこの言葉があって、印象に残っていました。
実際、ルビコン川を渡るまでと渡った後では大きな違いがあると思います。
川を渡る前とは
それは、いつでも引き返すことができる状態です。
その時の「話」は単なる「ホラ話」と言われても仕方がないなと思いました。
川を渡った後は「ホラ話」を実現するために、奮い立って行動を起こすことが必要になりました。
感情がどんなに揺さぶられようが、理性を失いそうになろうが、意識を目的に集中させていくしか道はないのだと思います。
(そんなに悲壮感に満ちているわけではありませんが(笑))
改めて「ルビコン川を渡る」の故事を紹介しますね。
紀元前49年1月11日
ルビコン川を前にして、ユリウス・カエサルが川を超えるかどうかを考えていました。
当時、属州ガリアとローマの境界であるルビコン川を渡るときは、法律により軍隊を解除しなければななりませんでした。
軍を率いていけば、反逆者として処罰されることになるのです。
しかし、ガリア遠征で名をあげていたカエサルに対してローマ元老院は良く思っていないことは明らかで
武装解除のままローマに帰ると、カエサルの身の危険が迫る可能性がおおいにあったのです。
このまま軍を率いていくべきか、武装解除するべきか。
カエサルは終に決断をします。
彼の言葉です。
「ここを越えれば、人間世界の悲惨。超えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ。われわれを侮辱した敵の待つところへ。
賽は投げられた!」
この言葉とともに、軍隊を率いてローマに攻め入る決意を固めたのです。
ルビコン川を渡り、ローマの中心部に攻め入れば、もう引き返せないことはわかっていました。
そして、カエサルの決意はローマの歴史を変えることになります。