「リルケ」の思い出

 

高校時代に読んだリルケのいくつかを、ふと読み返してみたくなることがあります。

 

孤独に浸りたいとき?

 

詩人リルケは、どうも私の思春期の深い影のようなものの象徴です。

 

良きにつけ悪しきにつけ、人生はあらゆるところで苦悩に満ちたものであるということを教えてくれました。

 

少し古い日本語訳のせいか、そうでなくても深く格式のある表現のせいで

 

噛み砕くように読まなければ、ほとんど表面の上っ面をなぞるようになってしまう文章です。

 

でも、リルケの詩や文章に触れていると

 

なぜか懐かしく落ち着く感じになります。

 

 

 

リルケにまつわることで

 

思い出されるのは、大学受験の面接のとき

 

教官から「読書が趣味だということだが、好きな作者は誰だ?」と問われました。

 

私は面接用の“模範解答”を準備していたのにも関わらず

 

舞い上がっていたのか、口に出た言葉が

 

「宮沢賢治です。それと、リルケが大好きです。」

 

「ほう。リルケ…。」

 

「はい。マルテの手記などは何回も繰り返し読んでいます。」

 

「どんなところが良いのか?」

 

「 … 全部です。」

 

おそらく、その時の面接の点数は最低点だったと思います。

 

「その世界で孤独で、不安と不可解な苦悩に満ち溢れていて

 

自虐的に自分の内面をえぐり続けているところです!」

 

なんてこと、面接の時に吐露する告白ではないですよね?

 

何かのカウンセリングの時にとっておくべきだと瞬間的に判断してしまいました。

 

 

 

青空文庫でリルケの「老人」という短編が読めます。

 

3人の老人たちの描写が素晴らしい作品です。

 

 

 

 

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