マジックのお話 その愛すべき世界

また趣味の話で恐縮です。

今回はマジックのお話です。

マジックの中でも、クロースアップ・マジック、とりわけカード・マジックが大好きで、いつか自分も華麗にカードを操れるようになりたいという憧れがあります。

マジックと言えば「テンヨー」ブランドしか知らなかった佐久田が、今思えば最初に手にした本が少々無謀でした。

基本からはじまるのですが、技法の理解と習得を中心とした構成でした。(それはまた機会があればいつかお話します。)

 

ほかにマジックには、段取りをきちんと踏めば、特別なテクニックなど必要としないセルフ・ワーキングマジックというものがあります。

ただし、技法をあまり使わないというだけで、手順を間違わずに覚えないといけなかったり、相手を誘導するセリフ回しだったり、別のむずかしさがあります。

有名なある人は極端に

「セルフ・ワーキング・マジックは演者自身が楽しくないのが欠点」

と表現しました。

 

小説「帽子から飛び出した死」で知られる奇術師探偵グレート・マーリニは

「観客の観念を先にだましてしまえば、技術など要らなくなるのだ」

と言いました。

 

まちがった前提を受け入れさせたり、錯覚をつくりあげたり。

 

技法は要らないかも知れませんが、簡単ではないです。

練習を重ねた演技力が必要です。

 

「マジシャンに見事にだまされた」

という気になった方がいるとすれば、おそらくこのセルフ・ワーキング・マジックを指しているのかも知れないと思います。

 

実は、佐久田はこれが苦手です。理由は簡単です。なぜなら演技力がないから。

 

 

 

演技力がない方でも、マジックは楽しむことはできます。

少々練習は必要になってきますが、その過程をも楽しむことができる人なら確実に上達するでしょう。

おそらくよほど今度の宴会で披露するとかという野望がなければ、練習する時間はたっぷりあるでしょうから。

 

有名なマジシャン、ラリー・ジェニングスが「ラリー・ジェニングスの カードマジック入門」の冒頭で

「クロースアップマジックには別の側面もあり、コンサートピアニストのように練習を積み重ね、芸術のように美しく演じられるものもあるのです。」

と言っています。

 

 

そういうレベルを誰もが目指すわけではないですが、やはり憧れるわけです。

 

たとえば「クラシック・パス」という古典的な技法があります。今ではあまり使われず、これを乱発する手順のマジックには批判のコメントが集まる類のものです。

けれども、昔は必須の基本技法としていたテキストもあったようです。

 

「クラシック・パス」は、相手にわからないように一瞬のうちに一組のカードの上半分と下半分を入れかえてしまう操作のことを言います。

それである特定のカードを特定の位置に移動させたり保持したりします。

 

日本で「クラシック・パス」の名手でまず思い出されるのはふじいあきらさんです。

つまり、ふじいあきらさんの超絶技法を持ち出すでもなければ、「クラシック・パス」は人前で決して演じるものではないということです。

 

何しろあるマジシャンは、パスを習得しようとする者に向けたアドバイスをただひと言。

「客の見てないときにやれ」

 

 

 

そう言われたら、「クラシック・パス」をマスターしたくなるじゃないですか!

 

…で、これが「大リーグボール養成ギプス」じゃなかった「クラシック・パス養成ステンレス・カード・デッキ」。

 

 練習用

 

こういうものが存在すること自体、すごくマニアックな世界でしょう?

 

 

 

 

 

 

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