伝説と地名

さくだ内科クリニックは浦添市経塚と那覇市首里大名の市境いにあります。
小中学校を浦添で過ごした私にとっては、経塚はとても慣れ親しんだ土地ですし、この地で地域医療を担う機会が得られたことを嬉しく思っています。

経塚という地名については、興味深い言い伝えもあって、調べれば調べるほど面白いです。

「経塚」とは、 辞書には「仏教経典を後世に残し,また極楽往生・現世利益を願って経典・経筒・経石・経瓦などを埋めた塚。」とあります。
全国には経塚という地名はいくつかあって、名称通りのところもある一方で、そうはいかずに由来も不確かなところも多いようなのですが、
ここ沖縄の経塚の場合は、わりと由来がしっかりしてるのではないかと思います。

ちなみに沖縄では、時々年配の方で、地震に遭遇すると「チョーチカ、チョーチカ、ウートートー」とおまじないのようなことをおっしゃる方がいます。
一種の厄除けの呪文です。
この「チョーチカ」はほかならぬ「経塚」のことなのですが、地震と経塚?
どういう背景があるのか併せて説明しますね。

1981年発行の「浦添市史」にはこのような記述があります。
「球陽」からの引用です。
「球陽」というのは、18世紀に琉球王国の正史として編纂された史書です。

16世紀、尚真王の時代のことです。
意味が分からないでしょうから、下に翻訳文を載せますので、お急ぎの方はすっ飛ばして読んでください。

首里より浦添邑に往くの間に、一高嶺有り。
松樹茂盛し、濃陰重々たり。
面して人烟隔つ ること遠く、最も幽僻の地たり。
昔時、此の地甚だ妖怪多く、時々出で来り、詐変異貌して屡々行路の人を悩ます。
日暮れの時、人之を驚惧して敢へて往来せず。
時に日秀上人有り、金剛経を小石に写し、之れを此の嶺に埋め、即ち碑石を建てて以って妖魔を圧す。
其の碑石に金剛嶺の三字あり。
此れより来のかた、妖 怪復は起らず、而して行旅の人も亦往還の安きを欣ぶ。

 

翻訳文は以下の通りです。

首里から浦添村に行く間に、一つの小高い森がある。そこには松の木が生い繁り、濃い木陰をつくっている。人里から遠く離れ、奥深い寂しい所である。昔、 この地は妖怪が巣くって、時々出てきては人をたぶらかし、通行人を悩ませた。日暮れになると、人々は恐がって通る者もいない。そこへある時、日秀上人が来 て「金剛経」を小石に写し、この嶺に埋め、石碑をその上に建てて妖怪をしずめた。

その石碑には「金剛嶺」の三文字が刻んである。

それ以来、妖怪は再び出て 人を悩ますこともなくなり、それからは安心して通行することができるようになった。

 

これが「経塚」の名前の由来です。実際に経塚の碑が今も残っていて、金剛嶺の三文字を見ることができます。

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さらに、「浦添市史」には追加があります。

この話はいつの間にか地震鎮めと地方に喧伝され、「経塚」の名を出せば地震はおさまるという、新たな民俗を生んだ。 つまり、この地は地震の時も揺れないと信じられ、地震の時には「チョージカ・チョージカ」(経塚・経塚)と唱えるとよいとされた。

 

伝説というものは、想像力が刺激されますし、ロマンを感じます。
この話を元に、琉神マブヤーの続編ができそうではないですか?
妖怪が人々をたぶらかすというのはまさしく、マジムンたちの暗躍をイメージさせますね。

 

 

 

2013年2月3日追記です。

琉球大学医学科出身で名護療育園勤務の仲本千佳子先生から情報をいただきました。

「確か民話で首里のお侍さんが公務で出かけたんだけど、経塚で休憩(居眠り)していたところ

その間に大きな地震があり、首里では大騒ぎ。

それに気がつかず首里に戻った所、「経塚にいたから地震から守られた」という話になってしまい

(実際には居眠りしていて気がつかなかったからなのですが)

それ以来 「ちょーじかちょーじか」の呪文が・・・という話だったと思います。

ユーモラスでいい話です。」

ということでした。

面白いですね。

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