「透析者」

透析をしている方々をどう呼ぶのかということに意識を向けるようになったのは、堀澤毅雄著「透析者と家族が元気になる本 全国の「達人」に学ぶ長生きの秘訣」という本を手にしてからです。

著者の堀澤さん自身も透析者で、本のタイトル通り透析歴30年以上83人と20年以上38人の「透析の達人」の方々にアンケートを行い、いただいた回答の中から「元気で長生きする秘訣」をまとめた本です。

この本は私たち透析医療従事者の必読書だと思っています。

「透析患者でなく透析者」という章の文を引用します。

「もう、お気づきと思いますが、この本の中では透析患者という言葉は、必要なとき以外には使っていません。
ある人の手記に、「自分は透析患者と思わないで、たまたま透析をしている透析者と思うようにしている。病人と思うことが、自分にとってプラスには働かない」という趣旨の文がありました。
自分は透析患者というよりも、たまたま透析をやっている人、普通に生きている人なのだ、という主張です。
 

(中略)

さあ、日々の生活と病気を嘆いていらっしゃる方、透析患者でなく透析者なのだと思ってみましょう。
そして、新しい意識で一歩を踏み出してみましょう。
これから述べる、透析者のいくつかの暮らし方、生き方の中に、きっとあなたは、これからの生活のヒントを見つけてくださるに違いありません。
自分の世界が、変わって見えてくる方もいらっしゃるはずです。」

 

 

開業前に、スタッフに相談されたことがありました。

「うちのクリニックでは患者さんの名前を呼ぶときに、「〇〇様」のように「様」をつけるかどうか。」

名前をどう呼ぶかということに関してはいろいろ議論があるところでしょうが、その方々が患者であるかどうか以前に、私は目上の方々、尊敬している方々を含めて、その人物を「〇〇様」と呼んだことがありません。

人を〇〇様と呼ぶ文化に育ったことがないからです。

私たちはその方々と同伴していく医療をしたいという気持ちがあります。

非日常の呼称はむしろ私たちの心のどこかに知らず知らずに「非日常の構え」をもたらす気がして怖いのです。

 

透析をしている方々を「透析患者」としてきたのは私たち医療者の文化なのかも知れません。

知らず知らずにその呼称が、自立を妨げているのだとしたら、恐ろしいことです。

対等な立場で信頼関係を結ぶ。

 

すべての透析者の方々とそのような関係を結べたら、これほど幸せなことはないですよね。

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