「最高の勉強法」

 

いくつになっても良い勉強法があれば知りたいものです。

この本が教えてくれるのは、いかにして効果的に学ぶかということでした。

 

 

多くの人が行っている勉強法とは、繰り返し読むこと、ノートに書き写すこと、重要なポイントにハイライトを引くことなどですね。

これらは実はあまり効果的ではないらしいです。

なぜなら、これらの方法は脳に十分な負荷をかけていないから。

学んだことを記憶に定着させるためには、脳に適度な負荷をかけることが重要らしいです。

(本音としては、この「脳に負荷をかける」ことがイヤで、勉強を遠ざけてしまうんですよね。)

では、何がいいのでしょうか?

その答えは「アクティブリコール」と「分散学習」。

アクティブリコールとは、学んだ内容を積極的に思い出そうとすること。

この方法は、脳に適度な負荷をかけ、記憶に定着しやすくします。

次に、分散学習。

これは、一度に長時間勉強するのではなく、時間を分けて復習することです。

この方法もまた、記憶の定着を助けます。

更に、学習内容に対して自分自身に質問を投げかけることも有効です。

この「自己説明効果」と呼ばれる方法は、理解を深め、記憶の定着を促します。

しかし、効果的な勉強法を知っていても、学ぶモチベーションがなければ始まりません。

そのためには、自分にとって意味のある学びを見つけること、

小さな目標を立てて達成感を味わうこと、そして何よりも、学習計画を自分で立てることが大切です。

自分自身で決めた学びは、外部から強制されたものよりも、はるかにやりがいがあり、続けやすいのです。

学習は、ただ知識を詰め込む行為ではありません。

自分自身を成長させるものです。

何か勉強のネタを見つけて、この新しい学習法を試してみるのも、良い挑戦ではないでしょうか。

 

 

ChatGPTをワトソン君に

 

診断の糸口を見つけるために、医師は患者一人ひとりの症状を聞き取り、身体所見をとり、検査を重ねて証拠集めを丁寧に行っていきます。

その様子は、まるで探偵のようでもあります。

昔から探偵にはワトソン君のような相棒が必要です。

最近、特に期待されているのが、OpenAIが開発したGPT-4のような大規模言語モデル(LLM)です。

このテクノロジーは、医療分野に革新をもたらすかもしれないと言われています。

今日は、そんな希望についてお話ししましょう。

2023年の夏、マサチューセッツ州ボストンにある2つの学術医療センターで、興味深い研究が行われました。

内科レジデントと主治医たちは、臨床推論能力の試験に参加しました。

彼らは、20の臨床ケースに基づいて、問題表現と鑑別診断を行いました。

「問題表現」とは、患者の症状や臨床データを分析し、その結果を簡潔にまとめた表現のことを指します。

言い換えると、「患者の健康状態の要約」や「症状の要点を整理した説明」ということです。

医師が患者の診断を効率的に進め、適切な治療方針を立てるために、この「問題表現」が重要な役割を果たします。

そして、同じ課題はGPT-4にも与えられました。

この研究の目的は、LLMが臨床データを問題表現にどのように統合できるかを探ることでした。

R-IDEAスコア、すなわち臨床推論文書化の4つの核心領域を評価する検証済み尺度を用いて、その能力が測定されました。

GPT-4は、主治医やレジデントを上回るスコアを獲得してしまいました。

特に、GPT-4のR-IDEAスコアの中央値は10(9-10)で、主治医が9(6-10)、レジデントが8(4-9)でした。

このデータは、GPT-4が臨床推論において人間の医師と同等、あるいはそれ以上の能力を持っていることを示しています。

しかし、全てが完璧というわけではありませんでした。

GPT-4は、診断の正確さや正しい臨床推論においては医師と同等でしたが、誤った臨床推論の事例がレジデントよりも多く見られたのでした。

この研究は、LLMは医師の代わりではなく、新たな「パートナー」として、診断と治療のプロセスを助けることができるかも知れないという可能性を示しています。

かなり賢いワトソン君の役割です。

臨床現場では、医師一人ひとりの経験、知識、直感が患者の命を救います。

GPT-4のような技術が加わることで、医師はさらに多くの情報を持って臨床判断を下すことができるようになるでしょう。

もちろん、このテクノロジーの導入には慎重な評価と、倫理的な配慮が必要ですが、その可能性は計り知れません。

未来の医療現場では、医師とAIが協力しながら、患者一人ひとりに最適な治療を提供していく風景が描かれるかもしれません。

 

元論文:

Cabral S, Restrepo D, Kanjee Z, et al. Clinical Reasoning of a Generative Artificial Intelligence Model Compared With Physicians. JAMA Intern Med. Published online April 1, 2024. doi:10.1001/jamainternmed.2024.0295

 

 

肺炎の「不適切な診断」

 

この論文のタイトルにある「Inappropriate Diagnosis of Pneumonia」をなんと訳そうかとちょっとためらいました。

直訳すると「肺炎の不適切な診断」ですが、なんだかわかりにくいですね。

ズバリ言ってしまえば、「診断が違っていた」「誤った診断」となってしまって、ちょっと物騒なお話になります。

つまり「肺炎と診断されたが、実は違っていた入院患者について」ということですね。

なかなか攻めてきました。

時々、自分たちのやっていることを批判的かつ第三者的に検証するのは、医療界にとって意義のあることだと思います。

ところで、肺炎は私たちがよく耳にする病名です。

シンプルな病名と比較して、現実はかなり複雑な様相を呈します。

今回は、米国ミシガン州の48の病院で行われた前向きコホート研究を基に、その複雑さと影響について考察してみましょう。

この研究では、2017年7月1日から2020年3月31日までの間に市中肺炎(CAP)の治療を受けた入院患者が対象となりました。

カルテをもとにした調査結果から、「不適切な診断」がされた患者は、適切な診断を受けた患者に比べて年齢が高く、認知症や発症時の意識状態がよくないことが判明しました。

こうした「不適切な診断」は、当然ですが、肺炎以外の急性疾患や慢性疾患、あるいは新規の正しい診断が遅れてしまう可能性があります。

なぜ医師はCAPを誤って診断してしまうのでしょうか?

CAPは一般的な疾患であるため、医師は利用可能な情報に基づいて判断する傾向があります。

少しでも治療を早くしたいので、手っ取り早い診断に飛びついてしまうのです。

特に高齢者や認知症、意識変化を有する患者では、他の疾患と間違えやすくなります。

たとえば、認知症のある高齢者は、自分の症状をうまく伝えられないことが多く、医師は非特異的なデータ(例えば、白血球数の上昇や単独での発熱)に基づいて肺炎の診断を下してしまうわけです。

不適切な診断の予防と、患者への影響を最小限に抑えるためには、医師がより慎重なアプローチを取る必要があります。

また、診断後も、「本当にこれでよいのか」と、治療の効果を定期的に見直し、必要に応じて診断を再評価する柔軟性が重要です。

この研究を通じて、不適切な診断のリスクを認識し、患者に最善のケアを提供するための知識と技術を深めることを肝に銘じていきたいものです。

 

元論文:

Gupta AB, Flanders SA, Petty LA, et al. Inappropriate Diagnosis of Pneumonia Among Hospitalized Adults. JAMA Intern Med. Published online March 25, 2024. doi:10.1001/jamainternmed.2024.0077

 

 

「日常的サディズム」を理解すること

 

ネットがこれほど普及していない時代でも、「憐れむべきは被害者なのに、その被害者を非難し攻撃する」というのは、普通に見られていたように思います。

最近、「Journal of Personality and Social Psychology」に発表された研究が、この問題を改めて取り上げています。

研究によると、日常的に他人の苦痛から快楽を得る「日常的サディズム」が高い人というのがその傾向が強いのだそうです。

「日常的サディズム」という言葉を聞くと、少しぞっとするかと思います。

そして「自分には関係ないこと」と片付けてしまうかも知れません。

しかし、実はこの言葉、私たちの身の回りにある意外と身近な感情や行動を指しています。

まず「サディズム」というのは、他人が苦しんだり困ったりする様子を見て楽しむ、あるいは快感を得る心理状態のことを言います。

これは、映画や小説の中の悪役の特徴として描かれることが多いですが、「日常的サディズム」は、そういった極端な例ばかりを指すわけではありません。

例えば、友達がつまずいて転んだ時に、思わず笑ってしまったとき。

これは、友達が大怪我をしたわけでもなく、ちょっとしたハプニングに対する反応です。

このような小さなことで他人の失敗を楽しむ心理状態が、実は「日常的サディズム」の一例です。

ただし、これは人を傷つける意図があるわけではなく、日常生活の中で自然に起こり得る感情の一つです。

この「日常的サディズム」は、人によって程度の差があります。

研究チームは、日常的サディズムが被害者非難にどのように影響するかを探求しました。

2,653人の参加者を対象に行われたオンライン調査では、性的暴行やいじめの被害者に対する非難が、特にこの性向が高い人々の間で顕著であることが示されました。

この性質が強い人は、他人が困難に直面している時、その人に対して共感を感じにくかったり、その人自身が原因で困難に陥ったのだと思いがちなのです。

例えば、誰かがいじめられているのを見て、その人に何か悪いことがあったからそうなったのだろうと考えます。

このような考え方は、他人に対する理解や支援を阻害してしまいます。

この研究からわたしたちが学ぶべきは、被害者を非難することの根底にある心理的要因を理解し、それに対抗する方法を見つけることです。

共感や同情は人間の本質的な特徵であり、それを奪われることなく、互いに支え合い、助け合う社会を築くことが、わたしたちの使命の一つであるべきです。

最終的に、この研究は私たちに大切な教訓を与えています。

それは、被害者を非難することは、単に彼らの不幸に対する誤った解釈にすぎないということ。

そして、このような行動や態度が、より深い心理的な要因から生じていることを認識し、それに対処することが、私たち一人ひとりに求められています。

 

元論文:

Sassenrath C, Keller J, Stöckle D, Kesberg R, Nielsen YA, Pfattheicher S. I like it because it hurts you: On the association of everyday sadism, sadistic pleasure, and victim blaming. J Pers Soc Psychol. 2024;126(1):105-127. doi:10.1037/pspp0000464

 

 

医学的エビデンスを主観的に解釈すること

 

専門家たちの意見が食い違うというのは、よく経験しますね。

しかも、彼らは同じ証拠を見ていたとしても、異なる解釈をすることがあります。

これは医学の分野だけでなく、私たちの日常生活にも当てはまる話ではないでしょうか。

例えば、ある風景写真を見て、ある人は山がきれいだと言い、ある人はそこに行ったことがあると言う。

まるでかみ合っていないのですが、けれども出発点は一枚の風景写真ということに違いはありません。

これが、証拠に基づく意思決定の微妙な面です。

特に、新型コロナウイルスのように情報が日々更新される状況では、ガイドラインも頻繁に変わりました。

ここでの主観性は、まるで迷宮の中を進むように、一筋縄ではいきません。

医学的証拠の集積が数十年に及ぶ一般的な疾患においてさえ、意見の相違は存在します。

たとえば、大腸がんスクリーニングの開始時期や方法について、異なる団体が異なる推奨を出しています。

目的地は同じでも、選ぶルートは人それぞれなのです。

新しい証拠が出てくると、ガイドラインは進化します。

しかし、どの証拠を取り入れるか、その価値をどう評価するかについても、専門家たちは意見が分かれるのです。

さらに、ガイドラインを作成する方法にも違いがあります。

一部は文書化されたアプローチを取り、別の部分ではGRADEアプローチなどを用いることで、結論に至るまでのプロセスにバラつきが生じます。

専門家たちは、同じ証拠から異なる質問を導き出し、異なるデータを選び、証拠を異なる視点で評価します。

こうした医学的証拠の主観的解釈は、複雑で解決が難しい問題ですが、この課題に取り組むことで、より良い医療の提供につながります。

研究者は研究の主要な目的や発見に忠実であるべきですし、報道する人々も、不確実性やそのニュアンスを明確に表現する必要があります。

元論文:

Bauchner H, Ioannidis JPA. The Subjective Interpretation of the Medical Evidence. JAMA Health Forum. 2024;5(3):e240213. Published 2024 Mar 1. doi:10.1001/jamahealthforum.2024.0213

 

 

高齢者の転倒のリスク要因

 

高齢者の転倒は、ある時突然にやってきます。

転倒自体が直接的な傷害を引き起こすだけでなく、日常生活での自信の喪失や活動の制限など、さらなる深刻な波紋を生み出してしまいます。

高齢者に「この前転んだから外を歩くのが怖い」と言われたら、こちらも運動の提案を慎重にならざるを得ません。

そのため、高齢者における転倒予防は、ただ単に身体的健康を守ること以上の意味を持ちます。

過去1年間に転倒を報告した人、転倒への不安がある人、または歩行速度が0.8~1 m/s未満の人は、転倒予防介入を受けるべきとされています。

またアメリカ国内の調査では、転倒の79%が家の中で発生し、最も一般的には寝室で起きています。

以前に転倒したことのある高齢者は、転倒しなかった高齢者と比べて、今後6〜24ヶ月以内に再び転倒する可能性が高いことも示されています。

平均リスクから高リスクの集団における59のランダム化比較試験(RCT)のメタ分析により、機能的運動による脚の力とバランスの向上が、転倒予防に推奨されています。

私たちが転倒予防に取り組む際、「多因子リスク削減」のアプローチが特に有効であることが指摘されています。

「多因子リスク削減」とは、複数のリスク要因に同時に対処することを意味します。

これには、身体的な運動の強化、家の安全性の向上、そして薬剤の見直しや減量が含まれます。

なかでも薬剤の減量は転倒予防における重要な戦略の一つとされています。

高齢者が使用する薬剤の中には、残念ながら転倒のリスクを高めるものが多く存在しています。

これらは、平衡感覚を損なうことから、直接的に転倒につながる可能性があるためです。

特定の薬剤、特に血圧降下薬、睡眠薬、抗不安薬、抗うつ薬などは、転倒のリスクを高めます。

これらの薬剤は、起立性低血圧やふらつき、意識の混濁などを引き起こし、結果として転倒に至ることがあります。

ところが、高齢者の方々は、これらの薬剤の種類を減らすことをなかなか同意してくれません。

安易に睡眠薬を求めたり、逆に「今の睡眠薬は効かないからもっと強いものにして」と要求してくる方が多いのです。

医療者としては薬剤の必要性を再評価し、可能であれば減量や他の治療方法への変更を検討したいのですが、すすまないのが現状です。

薬剤の減量を成功させるためには、患者自身がこのプロセスに積極的に関与することが重要なのだと言います。

医師や薬剤師は、薬剤の減量がなぜ必要なのか、どのようなメリットがあるのかを患者に説明し、理解と協力を得る必要があります。

また、薬剤の変更に伴うリスクや不安を軽減するための支援も重要です。

最終的に、転倒予防は単一の対策ではなく、多面的なアプローチが必要です。

薬剤の減量はその一環であり、患者の生活全体に対する配慮とサポートが必要とされます。

 

元論文:

Colón-Emeric CS, McDermott CL, Lee DS, Berry SD. Risk Assessment and Prevention of Falls in Older Community-Dwelling Adults: A Review. JAMA. Published online March 27, 2024. doi:10.1001/jama.2024.1416

 

 

ビジュアル・シンカーの脳

 

 

時代は変わり、私たちの認識も変わってきました。

かつては理解されにくかった人々も、今日ではその能力が認められ、社会の多様な場面で輝けることも可能になってきました。

その最たる例が、この本の著者テンプル・グランディン教授です。

彼女は自らがオーティズムスペクトラムにあることを公にしながら、家畜産業における革新的な改善を行い、動物科学の分野で高く評価されています。

グランディン教授の人生と業績からは、特に三つの重要な教訓が浮かび上がります。

一つ目は、オーティズムスペクトラムにある人々が持つ多様な思考の力です。

彼女自身が「物体視覚化思考者(ビジュアル・シンカー)」として、具体的な画像を思考の中心とする特性を持つ一方で、世の中にはパターンを認識する思考や、言葉による思考を得意とする人々もいます。

これら異なる思考のスタイルが、多様な問題解決策を生み出す源泉となり得るのです。

二つ目は、オーティズムのラベルに囚われすぎてはならないということ。

グランディン教授は、オーティズムスペクトラムにある人々が直面する困難に目を向けつつも、それによって彼らの能力が見過ごされがちであることに警鐘を鳴らしています。

彼女は、実際に多くのオーティズムスペクトラムにある人々が、特に技術や創造性が求められる分野で大きな成果を上げていると指摘しています。

三つ目は、実践的な学びの価値です。

グランディン教授は、自身の経験を通じて、具体的な作業や実験から得られる知見の重要性を説いています。

彼女の成功は、教室の中だけでなく、実際に手を動かし、物事を作り出す経験の中に根ざしているのです。

この三つのポイントは、私たちが教育や就労の場で多様性をどのように取り入れ、育んでいくべきかについて、貴重な示唆を提供しています。

グランディン教授の提案するように、伝統的な評価や採用の方法を見直し、それぞれの個性と能力を正しく評価するシステムへの転換が求められています。

私たちは、各々が持つ独特の思考のパターンや能力を理解し、尊重することで、より豊かで柔軟な社会を築くことができるはずです。

グランディン教授の人生は、オーティズムスペクトラムにある人々が直面する挑戦だけでなく、その無限の可能性をも私たちに教えてくれます。

彼女のメッセージは、一人ひとりが持つ独自の才能を認識し、それを社会全体で支え合うことの大切さを改めて思い起こさせてくれます。

グランディン教授が若い自分に伝えたかったという「高校を卒業すれば、物事は良くなる」という言葉を、私たちも心に留めておくべきだと思います。

 

 

ASMRって何?

 

ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)という用語は、私たちの日常のリラクゼーションや睡眠支援手段として、広く知れわたっているように思います。

その背景には、YouTubeやTikTokなどでのインターネットによるASMRコンテンツの普及があります。

しかし、多くの人が関心を寄せているわりに、科学的な研究はそれほど進んでいないように思います。

そんななか、ルール大学ボーフムのTobias Lohaus氏らが行った「ASMR: A PRISMA-Guided Systematic Review」という包括的なレビューが出ました。

ASMRは、特定の視覚や聴覚の刺激によって、「頭がぞわぞわする感覚」や「背中にかけてのチリチリした感じ」、心地よさやリラクゼーションを引き起こす現象です。

個人によって感じ方や強さは異なるものの、多くの人々に共通の体験を提供しています。

Lohaus氏らの研究チームは、PubMed、SCOPUS、Web of Scienceなどのデータベースから、ASMRに直接関連するオリジナルの実証研究を含む科学論文を厳格に選定し、分析しました。

彼らのレビューでは、54の研究がこの基準を満たすことが確認され、ASMRの経験がどのようにして一貫したものとなるのか、そのメカニズムを明らかにしました。

ASMRを感じるトリガーは人それぞれで、囁き声や紙の音、髪を梳かす音、優しい手の動きなど、様々なものがありました。

また、個人によっては、静かな環境で細かい作業をする動画や、軽いタッチ、注意深い視線を感じさせるような動画からASMRを感じることもあります。

ASMRには、ストレスや不安の軽減、特定の性格特性との関連、認知的結果への影響など、心理的および生理的な相関関係が存在することが明らかにされています。

また、特定の脳活動パターンや心拍数、血圧の低下など、リラクゼーションとストレス解消に関連する生理学的な測定値にも影響を与えることが示されています。

しかし、ASMRが長期的なメンタルヘルスに与える影響については、まだ確かな研究結果が得られていないため、今後の研究でこの点を明らかにする必要があります。

ASMRが持つリラクゼーションやメンタルヘルスに対する潜在的な利点を探ることで、将来的には新しいリラクゼーション技術としての可能性が広がるかもしれません。

 

元論文:

Lohaus, T., Schreckenberg, S. C., Bellingrath, S., & Thoma, P. (2023). Autonomous sensory meridian response (ASMR): A PRISMA-guided systematic review. Psychology of Consciousness: Theory, Research, and Practice. Advance online publication. https://doi.org/10.1037/cns0000368

 

 

「触れること」の希薄な世界

 

仏教では五感こそが苦の原因であるとする教えがあります。

「五蘊苦」と呼ばれるものですね。

五蘊とは、色(視覚)、受(触覚)、想(嗅覚)、行(味覚)、識(聴覚)の五つの要素を指します。

これらの要素は、私たちが世界を認識するために必要なものですが、同時に、これらの要素は苦しみの原因にもなります。

なぜ五感が苦しみの原因になるのでしょう?

それは、五感を通して得られる情報は、常に変化するものだからです。

例えば、美味しいものを食べていると、最初は幸せを感じます。

しかし、食べ続けていると、飽きてしまったり、胃がもたれたりして、苦しみを感じるようになります。

五感を通して得られる情報は、常に変化し、苦しみを生み出してしまいます。

ですから、仏教では、この苦しみから逃れるためには、五感に執着しないことが重要であると説きます。

五感に執着しないためには、五感を通して得られる情報を客観的に観察すること。

例えば、美味しいものを食べていると感じたら、その味をただ味わうのではなく、「これは美味しい」という考えが頭に浮かんでいることに気づくようにします。

このように、五感を通して得られる情報を客観的に「観察する」。

これがマインドフルネスにつながるものですね。

しかし、現代は「触れることを忘れた世界」とも言えます。

デジタル化が進む中で、私たちの生活はますます便利に、そして快適になっていきました。

人間はこの世に生を受けた瞬間から、周囲の世界を五感で捉え、体験を通して学んでいくものです。

子どもの頃、泥だらけになりながら遊んだり、木に登ったりした経験は、単に楽しい時間を過ごすだけでなく、重要な学習過程でもありました。

それは、世界を直接「触れる」ことによって得られる、貴重な知識と経験の蓄積です。

しかし、現代社会では、この「触れる」機会が減少しています。

「二次元」のお話だけでなく、バーチャルの世界や1日中変化しない人工照明の下で過ごす時間。

これらは、私たちの(特に「触れる」という)感覚を鈍らせてはいないでしょうか。

「触れる」ことの価値を、逆に再認識する必要があるかも知れません。

 

 

ICUでの冠動脈疾患の重症度スコア

 

一般の方には馴染みが薄いはずですが、重症度スコアというものがあります。

代表的なものが、敗血症関連臓器不全評価スコア(SOFA)やオックスフォード急性疾患重症度スコア(OASIS)と呼ばれるものです。

SOFAスコアは、主に敗血症の患者に対して、臓器不全などの程度を評価するために用いられます。

SOFAスコアが高いほど、臓器不全の程度が重く、予後が悪いことを示します。

一方で、OASISは急性疾患の重症度を評価するために設計されたスコアです。

これは入院時の患者の状態を反映し、重症度と予後を推定するために用いられます。

では、なぜスコア化する必要があるのでしょうか。

これらは、治療の優先順位や介入の必要性を判断するための基準として利用されたりします。

例えば、SOFAスコアが急速に上昇する患者は、即座に集中治療が必要な可能性が高く、この情報は医療チームが迅速に対応するための重要な指標になります。

つまり、患者ケアを科学的かつ包括的にアプローチするために利用するのです。

もちろん、実際の現場では、スコア化された数字のみで判断するわけではありません。

正確な評価と効果的な治療方針のためには、これらのスコアを他の臨床的情報や患者の全体的な状況と組み合わせる必要があります。

…というわけで、ここからが本日の本題です。

今回は、SOFAやOASISとは違った、新しいスコアシステムを提案した研究の紹介です。

この研究では、集中治療室(ICU)での冠状動脈疾患(CHD)患者の予後を見極めるために、血中尿素窒素(BUN)と血清アルブミンの比率(BAR)を取り上げていました。

この指標は患者の栄養状態、脱水症状、肝機能、そして最も重要な腎機能を包括的に表したものです。

院内死亡、28日死亡、1年死亡の3つの主要な成果指標を測定したところ、BARはこれらすべてにおいて有効な予測因子であることが確認されました。

特に1年死亡率において、BARは敗血症関連臓器不全評価スコア(SOFA)やオックスフォード急性疾患重症度スコア(OASIS)よりも優れていました。

しかし、スコアシステムそれぞれに特徴があり、評価する目的が違います。

これらを総合して判断し、重症の患者に対してどう治療を施すのか、医療者にとってはそれこそが常に問題となります。

 

元論文:

Zhang L, Xing M, Yu Q, Li Z, Tong Y, Li W. Blood urea nitrogen to serum albumin ratio: a novel mortality indicator in intensive care unit patients with coronary heart disease. Sci Rep. 2024;14(1):7466. Published 2024 Mar 29. doi:10.1038/s41598-024-58090-y